ストーリー
日露戦争で旅順攻撃を担当し、分厚いベトン(コンクリート)で囲まれたマシンガンを備える大要塞に対して、文字通り「肉弾戦」を挑んだ乃木希典が主人公。なぜ軍事的能力に乏しかった乃木希典がそのような大要塞の攻略を命ぜられたのか、ということや、大正という時代において殉死することができたのはどういうわけなのかということが司馬遼太郎によって考察されています。感想
乃木希典という人はとにかく劇的な人生を送った人だと思いました。長州閥の巨魁と親類だった関係でいきなり陸軍少佐に命ぜられたこともそうですし、ドイツ留学後に見せた心境の変化や、殉死という死に方を選んだことなど、その劇的要素は枚挙にいとまがありません。乃木希典は陽明学の徒だったということですが、やっぱり陽明学の系譜に連なる人はみんな劇的な人生を送ってますね。以前このブログで触れた『峠』の主人公である長岡藩の河井継之助もそうですし、中学校の歴史の授業でも触れる江戸時代の下級行政官大塩平八郎もそうですし …自分の平凡な人生と比べると、彼らの劇的な人生がうらやましい気もしますね。彼らのように非業の死を遂げるのは避けたいですが^^;
乃木希典が自分の人生に不遇感を抱いていたということは、意外というかなんというか面白いと思いました。彼は晩年に
電車に乗っていると、すわろうとおもって、そのつもりで鵜の目鷹の目で座席をねらって入ってくる。ところがそういう者はすわれないで、ふらりと入ってきた者が席をとってしまう。これが世の中の運不運というものだ。
と語っていたそうですが、これはむしろ乃木希典自身にこそ当てはまることなのではないでしょうか。日露戦争では児玉源太郎の助力がなくてはニ〇三高地を陥落させることはできなかったはずなのに、乃木希典ばかりが水師営の会見で外国記者から注目されてますし、凱旋して天皇に戦争の報告をしたときも他の将軍よりも報告書が美文であり、さらには軍服が儀礼用ではなく戦時に着用していた薄汚れたものだったため、彼だけが戦って他の将軍は大した働きをしていないように見えたり( 乃木が最も日露戦争の司令官の中で働きが悪かったのにもかかわらず)、乃木希典という人は本当に恵まれていたと思います。「ふらりと入ってきた者」はまさに乃木希典自身でしょう。
そんな人が自分を不遇だと考えるなんて皮肉ですよね。そのように考えることも彼の人生の劇的さの一要素でもあるわけなのですが。
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